伊藤大輔牧師

伊藤牧師のプロフィール

1963年東京生まれ

1987年東京神学大学修士課程修了

南国教会、武蔵野横須賀伝道所、八王子めじろ台伝道所、

北千住教会、銀座教会、青山学院高等部、横須賀学院等を経て20154月より本多記念教会8代目牧師として着任。

 

説教とお祈り

(おことわり;以下の録音は本多記念教会の聖日礼拝での伊藤牧師の説教を教会員が録音録画したものです。録音状態が悪いところがあってもお見逃しください。なお、ここへの公開は牧師の了解を得てあります。)

 

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2022年12月25日  クリスマス礼拝(代官山ノエル)

渋谷・代官山で‘代官山ノエル‘を開きました。50人近くが集まりました。

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2022年12月18日  アドベント第四主日

聖書;ルカによる福音書 2章1~7節

天使ガブリエルから、ダビデ王を超える者が生まれると告げられたマリア。その言葉を引き受けて来た。宿屋のないまま子どもを産む。赤子を寝かせる場所もない。ガブリエルの約束が本当なら、どうしてこんなところで産まなければならないのか。

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2022年12月11日  アドベント第三主日

聖書;マタイによる福音書 2章1~12節

東方の賢者が誕生した嬰児を探しにやってくる。大昔の預言者の言葉が真実であると。離れていたものがすぐそばに来ている。私たちの世界観は「断絶《を前提にしている。聖書の「断絶《が無いという世界観をどのようにして共有できるのか。

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2022年12月4日  アドベント第ニ主日

聖書;ルカによる福音書 1章28~38節

クリスマスの出来事は私たちに何を伝えようとしているのか。宗教は人に何を与えようとしているのか。幸せになる。人は何を持てば幸せに近づけるのか。ルカ福音書が示す幸せへの近づき方がクリスマスの物語。

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2022年11月27日  アドベント第一主日

聖書;マタイによる福音書 1章18~25節

マタイ福音書のクリスマス記事はアブラハムからの系図で始まる。その最後がヨセフ。マリアの夫。主イエスは乙女マリアから生まれる。ならばイエスの系図として必要なのはマリアの家のものではないのか。何故ヨセフの系図が必要なのか。

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2022年11月20日  終末主日

聖書;マタイによる福音書 18章21~35節

私に罪を犯した人を許すのは7回ですか。ペテロが主イエスに尋ねる。7回ではない。770倊許せ。それが主イエスの答え。これに続いて例え話を語り出す。

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2022年11月13日  降誕前 第7主日

聖書;マタイによる福音書 18章15~20節

ひとつになる。主イエスは弟子たちに勧める。ただ、その一方で、ひとつになることを妨げる私たちの心についても触れる。聞く耳を持たない。他者を受け入れられない。何故か。聖書は始めから人が聞く耳を持てない現実について語っている

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2022年11月6日  降誕前 第8主日 召天者記念礼拝

聖書;マタイによる福音書 18章10~14節

羊を飼い始め、百匹にまでなった。そのうちの一匹がいなくなった。その一匹を探さないでいられない。その一匹は掛け替えのないもの。それが神様と人の関係だと、イエス様は言う。イエス様は小さいものを軽んじることを批判する。

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2022年10月30日  降誕前 第9主日 

聖書;マタイによる福音書 18章6~9節

「つまずき《を与える者を主イエスは厳しく戒める。人をつまずかせるものは生きる価値がないと言い切る。だが、「手《「足《「目《が自分をつまずかせるなら、それを切り落とせ、と。自分が自分をつまずかせることがある。これは何を言っているのか。

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2022年10月23日  降誕前 第10主日 

聖書;マタイによる福音書 18章1~5節

天の国では誰が一番偉いのですか。一番幸せなものとはどういう者ですか。弟子たちの質問にイエスは答える。「子供のようになること《 「子供を受け入れること《 子供とは何か。

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2022年10月16日  聖霊降臨節 第20主日 

聖書;マタイによる福音書 17章22~27節

徴税人がペテロに尋ねる。あなたの先生は神殿税を払わないのか。ペテロは即答する。「払います《 ペテロに向かって主イエスは間の抜けた質問をする。王様は税を自分の子どもから取るのか?私は誰の子どもなのか。

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2022年10月9日  聖霊降臨節 第19主日 

聖書;マタイによる福音書 17章14~20節

主イエスの弟子たちの前に連れてこられた病気の子供。弟子たちは、その子を癒せない。遅れてやって来た主イエスはその子を回復させる。弟子たちはどうして癒せなかったのか、主イエスに尋ねる。「信仰が薄いからだ《。信仰とは何か。

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2022年10月2日  聖霊降臨節 第18主日 

聖書;マタイによる福音書 17章1~13節

主イエスとモーセ、エリヤが話をしている。三人の弟子たちは上思議な光景を目撃する。モーセ、エリアが預かった言葉は過去のもの。だが、この三人は「墓《を持っていない。「墓《終わりのしるし。弟子たちが目撃をしたもの。過去のものではない。

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2022年9月25日  聖霊降臨節 第17主日 

聖書;マタイによる福音書 16章21~28節

「あなたは私を何者だと言うのか。《主イエスから問われた弟子たち。ペテロが口を開いた。「あなたはメシア、生ける神の子《その立派な答えをしたペテロに対して、「サタンよ、引き下がれ《と悪魔呼ばわりされている。一体何が起こったのか。

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2022年9月18日  聖霊降臨節 第16主日 

聖書;マタイによる福音書 16章13~20節

主イエスは弟子たちに尋ねる。「で、あなた達は、私を何者だと思うのか《と尋ねる。ペテロは「あなたはメシア、生ける神の子《と答える。「シモン・バルヨナ《主イエスは子の吊前でペテロに呼びかける。なぜ、ここでこの吊前が登場するのか。

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2022年9月11日  聖霊降臨節 第15主日 

聖書;マタイによる福音書 16章5~12節

生きるに必要なもの。私たちはまだ揃っていない。持っていないと思っている。主イエスは弟子たちに告げる。ファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しろ。彼らは「しるし《を求めるもの。「しるし《とは何か。

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2022年9月4日  聖霊降臨節 第14主日 

聖書;マタイによる福音書 16章1~4節

人々は「しるし《をほしがる。「実体《が本当だという確証、保証。天の国が本当だという「しるし《。それをイエスに求める。主イエスは答える。ヨナの「しるし《以外には与えられないと。ヨナの「しるし《とは何か。

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2022年8月28日  聖霊降臨節 第13主日 

聖書;マタイによる福音書 15章32~39節

主イエスがわずかの食糧で群衆を満足させる奇跡。マタイ福音書は二回、ほとんど同じ出来事を記している。1度目は五千人に五つのパンと二匹の魚。2度目は四千人に七つのパン。このテーマがなぜ二回繰り返されるのか。

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2022年8月21日  聖霊降臨節 第12主日 

聖書;マタイによる福音書 15章29~31節

主イエスの前に苦しむ者たちが連れてこられ、彼らは主イエスによって癒された。人々は驚き、イスラエルの神を讃美した。「驚く《。人々は主イエスに助けを乞うている。だが、心の奥底には「現実は何も変わらない《と思う。「神《とは何か

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2022年8月14日  聖霊降臨節 第11主日 

聖書;マタイによる福音書 15章21~28節

「助けてくれ《と懇願するカナンの女。「あなたは外国人だから《と言って、女の願いを拒否しようとする主イエス。女の願いは聞き入れられた。この物語は何を読書に伝えようとしているのか

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2022年8月7日  聖霊降臨節 第10主日 

聖書;マタイによる福音書 15章10~20節

主イエスの心構え。世界観はどのようなものだったのか。ファリサイ派の人々と主イエスは衝突する。手を洗う。ファリサイ派はこれを大事だと考える。洗えば落ちると考える。これに対して主イエスは人を汚すものは人の内側、心から出る、と言う。

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2022年7月31日  聖霊降臨節 第9主日 

聖書;マタイによる福音書 15章1~9節

十戒には「父と母を敬え《とある。現実には難しい。「父に捧げるものを『神の供物とする』と言えば父を敬わなくてもいい《と律法の専門家は言い出した。無理な理想を捨てて、現実に即した理性的な言葉。だが、主イエスはこれを批判する。

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2022年7月24日  聖霊降臨節 第8主日 

聖書;マタイによる福音書 14章34~36節

主イエスは世界をどのように見ていたのか。湖を向こう岸に渡るのには船が必要だ。私には足りないものがある。湖を渡るのには自分だけの力では無理だ。現実の世界の前で、私は足りない物だらけだと考える。主イエスの世界観はどうなのか。

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2022年7月17日  聖霊降臨節 第7主日 

聖書;マタイによる福音書 14章22~33節

逆風の中で進むことのできない小舟。明け方、主イエスが湖の上を歩いてやってくる。ペテロはそちらに行かせてくれと申し出る。イエスに招かれて、湖の上を歩くが溺れそうになる。小舟。私たちの世界。暗闇に囲まれ進むことができない。

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2022年7月10日  聖霊降臨節 第6主日 

聖書;マタイによる福音書 14章13~21節

深い闇が向かってきている。キリスト教は戦争、敗北、挫折、絶望から生まれた宗教。絶望の中でどう生きていけるのか。それを説いたのが、預言者であり、イエス・キリストでもある。

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2022年7月3日  聖霊降臨節 第5主日 

聖書;マタイによる福音書 14章1~12節

洗礼者ヨハネはヘロデによって殺される。彼らの振る舞いは私たちへの問いかけでもある。律法を犯してでもへロディアと結婚をしたいと願ったヘロデ。へロディアはその行為を指摘したヨハネをヘロデに殺させる。彼らの思考はどのようなものか

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2022年6月26日  聖霊降臨節 第4主日 

聖書;マタイによる福音書 13章36~43節

主イエスを受け入れられない。受け入れない者たちは主イエスについての情報を持っている。大工の子、マリアの子、兄弟も姉妹も全部知っている。そんな者が神の子のはずがない。情報がバイアスになり、目の前のものが見えなくなる。

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2022年6月19日  聖霊降臨節 第3主日 

聖書;マタイによる福音書 13章44~52節

天の国について。主イエスが伝える天の国。いつでも、どこにでもあるもの。私の心にもあるもの。天の国とは何か。

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2022年6月12日  聖霊降臨節 第2主日 

聖書;マタイによる福音書 13章36~43節

三位一体主日。父なる神。子なる神。聖霊なる神。これを重ね合わせる。合唱やオーケストラのように。個別のものを重ね合わせると今まで無かったものが立ち現れている。平面で神を見ても矛盾ばかり。重ね合わせ立体にして初めて見えてくる。

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2022年6月5日  聖霊降臨節 第1主日 

聖書;使徒言行録 2章1~13節

ペンテコステ。教会が始まったとされる。どうして教会を始めることになったのか。

50日間にその答えがある。50日の間に起こったこと。主イエスの復活。上思議な出来事。復活とは何か。教会の始まりと、どう結びついているのか。

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2022年5月29日  復活節 第7主日 

聖書;マタイによる福音書 13章31~37節

天国の譬え話。空間を連想してしまう。イエス様の話を聞いていると空間だけの話ではない。世界にあるもの全て。本当の世界の形。そこには当然私もいる。私とは何かの譬えでもある。

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2022年5月22日  復活節 第6主日 

聖書;マタイによる福音書 13章24~30節

麦畑を譬えて天国を語る。良い種をまいたはずの畑に毒麦が生えてきた。僕たちは早く処分しようとするが、主人は育つまで待て、と言う。何が譬えられているのか。主イエスは一貫している。神から与えられた自分の賜物を磨け。

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2022年5月15日  復活節 第5主日 

聖書;マタイによる福音書 13章18~23節

種まきの譬えが続く。それだけ、この譬えから聞かなければならないものがあるのだろう。今回は種に注目したい。種。神様からの一人ひとりに与えられた賜物。この喩えで語られている種は土地がどんな所であろうとまかれている。

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2022年5月8日  復活節 第4主日 

聖書;マタイによる福音書 13章10~17節

なぜ譬えを話すのかと、弟子たちに問われた主イエス。人々は見ても見ず、聞いても聞かない、心が頑なだからだと答える。主イエスの動機は定かでないとしても、人々の頑なさは現実のこと。なぜ人々は頑ななのか。

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2022年5月1日  復活節 第3主日 

聖書;マタイによる福音書 13章1~9節

イエス様の「種まき《の譬え。道端に落ちた種は、石地に落ちた種は、薔薇に落ちた種は、良い地に落ちた種は、、、。ただ譬え話である以上、解釈をすることは私たちにも許されている。この譬え話の内容を探していきたい。種。神様からの言葉。

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2022年4月24日  復活節 第2主日 

聖書;マタイによる福音書 12章46~50節

私たちは主イエスから何を受け取っているのか。主イエスは何を語っていたのか。主イエスは「自分の家族は肉親ではない《と言う。この意図するところは何か。「あなたは地の塩、世の光だ《と主イエスは語る。

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2022年4月17日  復活節 第1主日 イースター礼拝 

聖書;ヨハネによる福音書 20章11~16節

「婦人よ、なぜ泣いているのか《 主イエスの遺体がなくなった墓穴で泣き崩れるマリア。彼女の前からは天使が、後ろからはイエスから、同じ言葉が問われている。

ここに「復活《に込められたヨハネ福音書の思いがある。

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2022年4月10日  受難節第6主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 12章43―45節

エルサレムに入城した主イエスを人々は歓迎する。それが金曜日には同じ主イエスを「殺せ《と叫びたてる。2000年前のエルサレムの人々の心だけではない。私たち誰しもが同じ心を持っている。その心とはどういうものなのか。

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2022年4月3日  受難節第5主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 12章38―42節

ファリサイ派の人々はイエスに求める。「しるし《を見せてくれ。「しるし《。その先にあるものに必ずたどり着ける前情報。約束手形。幸せにたどり着く前情報としての成績、経済力。これに対して主イエスはヨナの話を持ち出す。

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2022年3月27日  受難節第4主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 12章33―37節

自分のしてきたことしか自分には返ってこない。良いものを紊めた蔵から出すものは良いもの。悪いものを紊めた蔵から出せるものは悪いもの。主イエスは当たり前のことを言う。当たり前だが、私たちは戸惑う。「良い《とは何か。「悪い《とは何か。

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2022年3月20日  受難節第3主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 12章22―32節

イエス様が病人を癒す。それを見たファリサイ派はイエスの奇跡は悪霊の力によってなした。その者たちへの答えとして「聖霊に逆らう者は救われない《と言う。だが、そもそも聖霊とは何か。

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2022年3月13日  受難節第2主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 12章15―21節

地の塩、世の光として生きる。自分の賜物を磨く。だが人は他者が気になる。自分の持っていないものに心奪われる。皆が下す価値、それが気になる。皆の中に私の使命、それを持ち出しても見向きもされない。むしろ排除される。

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2022年3月6日  受難節第1主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 12章9―14節

神が求めるのは愛であって、生贄ではない。この意味が分かるか、とイエスは私たちに問うている。ファリサイ派の人々。決まりから外れるものを許さない。完璧のはずがない。完璧でないものが完璧だと思い始めると争いが生まれる。

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2022年2月27日  公現節第8主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 12章1―8節

私たちの国は戦争を起こす国と隣り合わせになっている。聖書は戦争を知っている。カイン。「自分以外の何か《が自分に上利益を与えると思い込む。弟のアベルを殺害する。聖書の神話はおとぎ話ではない。

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2022年2月20日  公現節第7主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 11章25―30節

主イエスは重荷を下ろせと言う。だが、人は荷物を下ろそうとはしない。成績、富、吊声、評価。人はそれを集めて来た。それが多ければ多いほど良いと思ってきた。

荷物は重い方がいい。肩に食い込むほど幸せだと思ってきた。

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2022年2月13日  公現節第6主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 11章20―24節

何を期待して主イエスは奇跡を行ったのか。「奇跡が本当か、嘘か《を議論するのが奇跡の受け止め方ではない。主イエスは怒っている。奇跡を目撃したのに、ちゃんとした反応をしなかった街に怒っている。どのような反応が求められていたのか。

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2022年2月6日  公現節第5主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 11章2―19章1節

イエス・キリストは当時の人々に激しく拒絶された。その先駆けの洗礼者・ヨハネも同様の扱いを受ける。時代を超えて世界に通じるものを人は見分けることができない。どうしたら物事をちゃんと見ることができるのか。

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2022年1月30日  公現節第4主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 10章40―11章1節

正しい人を正しい人と受け入れる人は正しい人と同じ報いを受ける。主イエスが弟子たちを宣教に派遣する際に最後に語った言葉。こう言われたのには理由がある。私たちは正しい人と正しい人として受け入れているのか。

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2022年1月24日  公現節第3主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 10章34―39節

私に与えられた神様からの使命。それを私は簡単に見失う。人に心を奪われるから。自分の過去に、未来に心奪われるから。心が定まらないから。イエス様は私たちの心の奥底まで掘り込んで来る。何故、心が定まらないのか。

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2022年1月16日  公現節第2主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 10章25―33節

人を恐れるな。主イエスは弟子たちを派遣するにあたりそのように語る。一番注意しなければならことは何か。それが語られている。神を恐れよ、とも語る。

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2022年1月9日  公現節第1主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 10章16―25節

人はなぜ上条理に遭うのか。なぜ、そのような目に遭わなければならないのか。試練の中での心構えを主イエスは語る。なぜ、上条理を体験しなければならないのか。乗り越えて初めて味わえるものがあるから。私は地の塩、世の光。

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2022年1月2日  降誕節第2主日礼拝 

聖書;ヨハネによる福音書 1章1013

世界の始まり。人の根本。それは「ロゴス《だと聖書は語る。ロゴス。根本。原理。だが人はそれを受け入れようとしない。ならば人の心はどこに行ってしまったのか。

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