伊藤大輔牧師

伊藤牧師のプロフィール

1963年東京生まれ

1987年東京神学大学修士課程修了

南国教会、武蔵野横須賀伝道所、八王子めじろ台伝道所、

北千住教会、銀座教会、青山学院高等部、横須賀学院等を

経て20154月より本多記念教会8代目牧師として着任。

 

説教とお祈り

(おことわり;以下の録音は本多記念教会の聖日礼拝での伊藤牧師の説教を教会員が録音したものです。録音状態が悪いところがあってもお見逃しください。なお、ここへの公開は牧師の了解を得てあります。)

 

2019年7月14日 聖霊降臨節第6主日礼拝 

説教題;本当にしたいこと

聖書;使徒言行録21章1~16節

聖書の登場人物、主人公は私たち読者のお手本です。この箇所に登場するパウロも、私たちのお手本であると同時に、パウロもお手本を持っていました。イエス・キリスト、この方がパウロのお手本であったでしょう。

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2019年7月7日 聖霊降臨節第5主日礼拝 

説教題;喜びをかぞえる

聖書;使徒言行録20章13~38節

伝道旅行に赴いていたパウロ。決意をする。エルサレムへ戻る。エルサレムに戻ることは投獄され苦難にあうこと。それが分かっていながら「戻る」という。キリスト者とは一体何者なのか。

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2019年6月23日 聖霊降臨節第3主日礼拝 

説教題;神、戦う

聖書;創世記32章23~32節

「神様とはどのようなお方か」イスラエルの民は神様に選ばれた民だとの自覚がありながらも二度、大きな戦争に敗れている。神様がいるのならどうして私たちを助けてくれないのか。神などいない。その言葉はイスラエルで何度も叫ばれた言葉であろう。

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2019年6月16日日 聖霊降臨節第2主日礼拝 

説教題;恵みの訓練

聖書;使徒言行録10章1~12節

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2019年6月9日 聖霊降臨節第1主日礼拝 

説教題;突然変わる

聖書;使徒言行録2章1~13節

2000年前に教会が生まれた出来事。ペンテコステに起こった出来事。この出来事は過去の話ではない。今日も、これからも教会が覚えていなければならない内容を持っている。

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2019年6月2日日 復活節第7主日礼拝 

説教題;発火点

聖書;使徒言行録19章21~40節

エフェソでパウロ達はアルテミスを信仰する神殿の模型を作る職人たちから襲われそうになる。パウロが「神は神殿になど住まない」と語ったから。信仰を持った者たちがパウロを襲う。信仰とは一体何なのか。

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2019年5月26日 復活節第6主日礼拝 

説教題;不必要

聖書;創世記32章2~22節

旧約聖書は今から2500年前に成立した書物。バビロン捕囚、敗戦の体験と結びついた物語。家を追われたヤコブが自分の故郷に帰る。捕囚の民はここから何を読み取ったのか。

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2019年5月12日 復活節第4主日礼拝 

説教題;つながっている

聖書;使徒言行録19章11~20節

母の日。1908年、アメリカ、ウェブスターでアンナ・ジャービスが母を偲んで教会でカーネンションを配ったことが始まりとされている。亡き母を思う。無条件に大切にされた経験。母の姿を通し、神の愛、広さへと思いを馳せる

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2019年5月5日 復活節第3主日礼拝 

説教題;予定外

聖書;使徒言行録18章18節~19章10節

真面目な信仰がある。本気で神様を大切にしているのはよく分かる。誰もそれに異論はない。それでも大切なことがわかっていない。何が正しく間違いか、その基準を設定することは簡単ではない。

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2019年4月28日 復活節第2主日礼拝 

説教題;過去の整理

聖書;創世記31章43~54節

ヤコブは兄エサウの受け継ぐべきものを奪う。自分にないもの。それを奪う。

エデンの園のアダムとエバ。自分は不十分、それゆえアダムたちは楽園を追われ、ヤコブは家を出なければならなくなった。人の姿がここにある。

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2019年4月21日 復活節第1主日礼拝 

説教題;永遠の命

聖書;ヨハネによる福音書20章1~18節

「婦人よ、なぜ泣いているのか」。墓で泣き崩れるマリアに声がかけられる。マリアの前から、後ろから同じ言葉がかけられる。ヨハネ福音書は仕掛けを潜ませている文学。「時間」「空間」にも独特の考えを持っている。

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2019年4月14日 受難節第6主日礼拝 

説教題;神はいらない

聖書;ヨハネによる福音書19章1~16節

主イエスが十字架にかかる。なぜかけられたのか。人々の訴え。「神の子と自称した」。「王と自称した」から。しかしそんな発言をしたものは当時いくらでもいた。ではなぜ主イエスは十字架にかかったのか。

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2019年4月7日 受難節第5主日礼拝 

説教題;わたしはどこに

聖書;ヨハネによる福音書18章15~27節

主イエスの十字架。「神」と「人」が明らかになる場面。

「人」は何者か。「否定」で考える。「神」。徹底的に「肯定」をする。「肯定」、「愛」とも言う。神の愛が浸透しながら十字架の出来事は、この世界は進んでいく。

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2019年3月31日 受難節第4主日礼拝 

説教題;終わりへの備え

聖書;ヨハネによる福音書18章1~11節

主の十字架を覚える季節。主の十字架は人の罪の故。人の罪とは何か。

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2019年3月24日 受難節第3主日礼拝 

説教題;あとにひかない

聖書;創世記31章22~32節

家族から追われ故郷を離れ本来の場所にいられない者の物語。本当なら私はここではなく、あそこにいられたのに。あそこが私の場所だったのに。私のいるべき所、帰るべき所に人はもうたどり着けないのか。

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2019年3月10日 受難節第1主日礼拝 

説教題;神の守り

聖書;使徒言行録18章1~17節

聖書には裁判の場面が多く登場する。私たちも終わりに日に「裁きの場」に立たされるとの表現もある。裁判とは何か。根本的に問われるのは「わたしは何者か」ということであろう。私のすべてが問われる。

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2019年3月3日 公現後第8主日礼拝 

説教題;神とは

聖書;使徒言行録17章16~34節

「復活を信じる」キリスト教信仰の根幹。「復活を信じる」とはどういうことなのか。

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2019年2月24日 公現後第7主日礼拝 

説教題;思い出す

聖書;創世記31章1節~13節

ヤコブの物語。古代より伝わる物語は人の執着を映し出す。「あなたには足りないものがある」。これは蛇の言葉。「すべては良い」。これが神の言葉。私には足りないものはなにもない。その真実に気が付いたとき、ヤコブはすがりついていた叔父のもとを後にする。私が本当に求めていたものとの出会が始まる。

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2019年2月10日 公現後第5主日礼拝 

説教題;その先にあること

聖書;使徒言行録17章1節~15節

使徒たちの伝道は迫害と隣り合わせ。迫害の首謀者は信仰者。宗教は争いを、戦争を引き起こしてきた。信仰と暴力。これはいつでも絡み合っている。

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2019年2月3日 公現後第4主日礼拝 

説教題;闇の中で始まる

聖書;使徒言行録16章25節~40節

パウロとシラスはフィリピの町で役人に取り押さえられ投獄される。女占い師によって金儲けをした者から恨まれ罪を捏造され捕まえられる。だが、この話はそれだけではない。人の心のあり方。キリスト者の世界観が語られている。

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2019年1月27日 公現後第三主日礼拝 

説教題;神の試練

聖書;創世記20章25節~36節

ヤコブ、イスラエル族長の物語。一国、一民族の祖の話ではない。人の始め、人の底に眠るもの。私を問う物語。人には帰るべき所がある。

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2019年1月13日 公現後第一主日 本多記念教会創立66周年記念礼拝 

説教題;神に仕える

聖書;使徒言行録16章11節~24節

本日は本多記念教会創立記念日。教会は永遠の命を知るもの。その永遠の命はどのようにすれば得られるのか。主イエスはこの問いに向かい「神を愛し、隣人を愛せ」を実行せよ、と告げる。だが問いは続く。隣人とは誰か

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2019年1月6日 降誕節第二主日礼拝 

説教題;その先へ

聖書;使徒言行録16章1節~10節

新しい年を迎えました。私たちは今年がどのようになるか想像を働かせます。教会の未来への考え方、それはどのようなものか。聖書からその考え方を聞き取りたいと思います。

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2018年12月30日 降誕節第一主日礼拝 

説教題;導かれて

聖書;マタイによる福音書第2章1節~12節

星に導かれ、占星術の学者たちは生まれたばかりの主イエスのもとに導かれてやって来る。クリスマスの一場面。この物語は私たちに何を語っているのか。

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2018年12月24日燭火礼拝ビデオ 

説教題;神、我らと共に

聖書;マタイによる福音書第1章18節~25節

 

2018年12月23日待降節第4主日礼拝説教 

説教題;夜の出来事

聖書;ルカによる福音書第2章8節~21節

ルカ福音書が記された時、ユダヤはローマ帝国との戦争に敗れ、国を追われ、闇の前にただ立っていた。羊飼いは、イスラエルの民と重なっている。そして私たちと重なっているのかもしれない。

      

 

2018年12月9日待降節第2主日礼拝説教 

説教題;実現される約束

聖書;ルカによる福音書第1章57節~66節

      

2018年12月2日待降節第1主日礼拝説教 

説教題;信じる

聖書;ルカによる福音書第1章39節~45節

なんでこんなものがわたしの前にあるのか。私たちには立ちはだかる分厚い壁、深い闇に覆われているかのように思える現実がある。戸惑い、怒り、隠そうと、捨てようとする。それも闇への対処の一つかもしれない。

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2018年11月25日礼拝説教 

説教題;美しく仕立てる

聖書;創世記30章1節~8節

イスラエル12部族はヤコブの子供達。今日の聖書は、その12人の子供たちの誕生の様子を記すもの。不本意な今、否定したい過去、後悔の中に私たちはいるかもしれない。その私に、この物語は語りかける。どんな今も、どんなものも、必ず何かの始まりになっている。未来に必要なものになっている。

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2018年11月11日礼拝説教 

説教題;変えられていく

聖書;使徒言行録15章22節~35節

今日読んだ箇所は使徒たちが会議を開いた場面。読みようによっては単なる会議録。それが2000年、読まれ続ける。そこには会議を超えた何かが記されている。それを見つけることが聖書を読むということ。何が語られているのか。読み解いていきたい。

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2018年11月4日礼拝説教 

説教題;どこまでも広がる

聖書;使徒言行録15章1節~11節

本日は召天者記念礼拝。先に召された信仰の先達を覚える日。その信仰とはいったいどのようなものなのか。教会の信仰を、この記念の日に確認したいと思います。

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2018年10月28日礼拝説教 

説教題;遠のいてゆく

聖書;創世記29章14節~30節

ヤコブの物語。ヤコブの物語は私の物語。叔父ラバンの約束の反故。不愉快で、想定外のこと。だが、これがあったから十二部族が生まれた。人にはつらいことでも、裏切られたことでも、神は確かな礎を据えている。

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2018年10月14日礼拝説教 

説教題;苦難と恵

聖書;使徒言行録14章21節~28節

旧約聖書、新約聖書、成立の年代は異なるが、共通の社会的状況のもとでまとめられた書物。帝国との戦争、敗戦。夢も希望も見えない、未来が閉ざされた闇の中でまとめられたのが聖書の一つの背景。その現実の中で人はどのように進むのか、進められるのか。

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2018年10月7日礼拝説教 

説教題;偶像を作らない

聖書;使徒言行録14章8節~20節

人は誰でもつまずき倒れる。立ち上がれるのか。立ち上がれるとしたら、どのようにしてか。今日の聖書はそのことを語る。

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2018年9月30日礼拝説教 

説教題;分裂からの始まり

聖書;創世記29章1節~14節

ルカは時間を振り返ってこれらを記す。ここには記されているもの。仲間が殺された。主イエスを証しして命を落としていった。主イエスのせいで死んでいった者たちがいた。神様を信じているのに、どうして私たちに幸せは訪れないのか。  

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2018年9月23日礼拝説教 

説教題;新しい出発

聖書;使徒言行録14章1節~7節

族長物語はイスラエルの祖先の話。それは表面上のこと。その内容は一民族の話ではない。いつでも、どこでも成り立つ普遍的物語。物語は私と結びついている。私とはなにか。人とは何か。人はどのような道を歩むのか。

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2018年9月9日礼拝説教 

説教題;相転移

聖書;使徒言行録13章33節~52節

使徒パウロが回心してから始めての説教をする。自分が大切にしていること。皆に分かってほしいこと。

「赦し」がある。ならば人の心は止まらない。動き出し、希望へと進んで行ける。心の本当の在り方を思い出したい。

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2018年9月2日礼拝説教 

説教題;すべてはここに

聖書;使徒言行録13章13節~32節

アンティオケの会堂長がパウロに皆を励ます言葉を語って欲しいと依頼する。新たな気持ち、振起日と重なる求めでもある。その求めに応じてパウロはイスラエルの歴史を語り出す。

未来は私を待っている。この向こうに何かある。

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2018年8月12日礼拝説教 

説教題;繰り返される恵

聖書;使徒言行録13章4節~12節

聖霊は何をなすのか。教会を迫害していたサウロはダマスコに向かう途中、主に出会い、目が見えなくなり回心へと向かう。そのパウロが実質、初めての宣教活動をしたものが今日の聖書の箇所。

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2018年8月5日礼拝説教 

説教題;達成の先

聖書;使徒言行録12章20節~13章3節

人が、ヘロデが達成しようとしたものはエルサレムから北へ200キロ程度の世界。聖霊に導かれた教会はローマへ、更には世界中へと進んで行った。聖霊は何をなすのか。人の想定より、もっと遠くへと私たちを招く。

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2018年7月29日礼拝説教 

説教題;予定と違う

聖書;創世記27章1節~17節

「限りがある」に執着する価値観に対し「永遠」を想定したらどうなるのか。敵を作り出すことではなく、愛を生み出せるのではないか。物語は私たちに問うている。

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2018年7月22日礼拝説教 

説教題;導きと共に

聖書;使徒言行録12章1節~19節

生きているのか死んでいるのか分からない。死んでも何も感じないのではないかと思えるほど心が真っ暗になることがある。誰もそこには手を差し伸べることが出来ない孤独の中に閉じ込められることがある。私は終わりなのか。否、復活がある。

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2018年7月8日礼拝説教 

説教題;苦難の先

聖書;使徒言行録11章1~19~30節

使徒言行録の記す教会の記録。教会の始まり。そこでは聖霊が働いている。聖霊は何をしたのか。

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2018年7月1日礼拝説教 

説教題;先へ進まれる神

聖書;使徒言行録11章1~18節

神の言葉。聖霊。ユダヤ人だけが分かるものと思っていた。ユダヤ人だけの恵みと持っていた。ところがそれが異邦人のも与えられた。ペトロは自分が目撃したことをエルサレムの教会に伝える。

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2018年6月24日礼拝説教 

説教題;命を掘り当てる

聖書;創世記26章15~33節

不安、困難の現実と直面すると、人はなんとかしようと慌て出す。異国で命の危険を感じたイサクは妻を妹だと偽って生き延びようとする。結局、神に全てを明らかにされ目論見は失敗するが守られ、繁栄が与えられる。

録音はありません。            説教要旨はここをクリック

 

2018年6月10日礼拝説教 

説教題;神の広さ

聖書;使徒言行録10章44~48節

「この人たちが洗礼を受けるのに何の妨げがありますか」。異邦人コルネリウス達に降った聖霊を目撃したペテロが語った言葉。信じて行く。希望を持つ。神話に自らを委ねる。教会はそうして2000年の時を刻んできた。

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2018年6月3日礼拝説教 

説教題;誰もが生きる

聖書;使徒言行録10章34~43節

      

 

2018年5月27日礼拝説教 

説教題;何度でも救う

聖書;創世記26章1~14節

私たちが信じている神様はどのような神様なのか。その神様が、もし喜んだり失望したりするとしたら、それはどのような時なのか。

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2018年5月13日礼拝説教 

説教題;ためらわず行く

聖書;使徒言行録10章1~33節

福音がユダヤから異国の者に伝わっていく。画期的出来事をルカは記す。ただこれは過去の記録ではない。ルカはこの出来事はいつでもどこでも起こるものとして読者に語りかけている。

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2018年5月6日礼拝説教 

説教題;起き上がれる

聖書;使徒言行録9章32~43節

ペテロが二つの奇跡をなす。二人の女性、アイネアとタビタに奇跡をなす。二つの出来事はよく似ている。聖書は時々こういう書き方をする。似ているものを隣接させてそこからメッセージを語りかける。二つの物語は読者に何を語りかけているのか。

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2018年4月29日礼拝説教 

説教題;欲しい

聖書;創世記25章27~34節

なぜ世界は争うのか。私たちの心の中に何があるのか。成長したエサウとヤコブのやり取りがそれを教えてくれる。

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2018年4月22日礼拝説教 

説教題;予定外

聖書;使徒言行録9章19~31節

目が見えるようになったサウロ。彼はどのような世界を見たのか。「見える」とは何が見えることなのか。

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2018年4月15日礼拝説教 

説教題;見えるようになる

聖書;使徒言行録9章1~19節

使徒パウロの誕生。教会は2000年続いている世界的組織。歴史に新しいページが刻まれた。それはどのようにして起こったのか。

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2018年4月8日礼拝説教 

説教題;はじめも終わりも導きのまま

聖書;使徒言行録8章26節~40節

フィリポと出会った宦官は洗礼を受ける。神を信じたから。信じるとは何か。この物語はその構造で語っている。信じるとは何かを。

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2018年4月1日イースター礼拝説教 

説教題;ないことの喜び

聖書;ルカによる福音書23章56節~24章12節

絶望の日。何のためにあるのか。そんな日が人生にどうして必要なのか。ルカは、それは準備の日だと言う。何を準備するのか

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2018年3月25日礼拝説教 

説教題;闇の先へ向かって

聖書;ルカによる福音書23章44節~56節

主が十字架にかかった時、周囲の者たちは言った。「お前がメシアなら自分を救ってみろ」。救い主イエスは彼らの言葉に応えない。「救い」との表現には様々な内容がある。「救い」とは一体何なのか。

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2018年3月18日礼拝説教 

説教題;苦難の次

聖書;使徒言行録8章1節~25節

この世界の歴史は常に拒絶と直面をしている。拒絶に直面しながらも、否定され、潰されながらも、それでも進むべきものは進んでいる。ステファノの殉教を機に教会への大迫害が始まった。拒絶の中で何が進んでいるのか。

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2018年3月11日礼拝説教 

説教題;すでにあった未来

聖書;使徒言行録7章44節~8章1節

ステファノの殉教。痛ましいで出来事。これはかつて歴史の中の一出来事なのだろうか。この書物を記したルカは恐らくはそう考えてはいない。これは今も起こること、起こっていること。世界のあり様がここに語られている

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2018年3月4日礼拝説教 

説教題;新しくても変わらないもの

聖書;使徒言行録6章8~15節

「見えるもの」「見えないもの」。国も、組織も、個人も、この組み合わせを持ち、それを他者から触らせまいと守っている。アイデンティティーとは執着なのではないか。この世界はアイデンティティーなくしては成り立たないのか。

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2018年2月25日礼拝説教 

説教題;最後に分かる

聖書;創世記25章1~18

アブラハムが聖書に登場したとき、彼の年齢は75歳。そして息を引き取った時175歳。物語は100年の話。その年月はすべてが無駄でないと分かるために必要な時間。

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2018年2月18日礼拝説教 

説教題;語り続ける

聖書;使徒言行録6章1~7節

ユダヤ、キリスト教は「こども」と「やもめ」を大事にする。小さなものを大切にする。それが伝統。その伝統が軽んじられている。十二使徒は教会のものを皆集め、告げる。

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2018年2月11日礼拝説教 

説教題;何を聞くのか

聖書;使徒言行録5章27~42節

主イエスの弟子たち。彼らは迫害を受ける。教会、信仰は迫害と無関係ではない。信仰者は迫害をどの様に受け止めればいいのか。

   

 

2018年2月4日礼拝説教 

説教題;福音は外へ

聖書;使徒言行録5章12~26節

主イエスの弟子たち・使徒。彼らもイエスと同様、宗教指導者たちと衝突する。何が原因で、何を接点にぶつかっているのか。

(録音はありません)    説教要旨はここをクリック

 

2018年1月28日礼拝説教 

説教題;示されている

聖書;創世記24章50~67節

私たちはどのようにして未来に進んで行くのか。アブラハムは妻サラが亡くなったことを契機に息子イサクに嫁を迎えることを考える。未来を作り出そうと考える。

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2018年1月21日礼拝説教 

説教題;何故、捨てられないのか

聖書;使徒言行録5章1-11節

アナニヤとサッフィラ夫婦、土地を売った代金をごまかして教会に申告する。その虚偽はすぐに暴かれ彼らは息絶える。ペテロは彼らに告げる。「土地を持っていても良かったのに」。「売った代金で生活していても良かったのに」。「どうして嘘をついたのか」。アナニヤとサッフィラ、何を目論んでいたのか。

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2018年1月7日礼拝説教 

説教題;語り始める

聖書;使徒言行録4章23-37節

「主イエスの名によって」ペテロとヨハネは足の不自由なものを立ち上がらせた。それが原因で祭司長たちから尋問を受ける。帰ってきたペテロたちを迎え人々が祈りをなす。かつてダビデの語ったことが本当だったことを喜ぶ。

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2017年12月31日礼拝説教 

説教題;喜びにあふれる旅

聖書;マタイによる福音書2章1-12節

クリスマスに何が起こったのか。二つのことが起こっている。占星術の学者たちの心に起こったこと。ヘロデとエルサレムの人々の心に起こったこと。

クリスマスは世界の秩序を人の心に呼び覚ます。いつでも誰とでも愛し合える。

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2017年12月24日クリスマス礼拝説教 

説教題;天に栄光、地に平和

聖書;ルカによる福音書2章8-20節

ルカの記すクリスマスの場面、「天の栄光」「地の平和」。それを天使たちが祈ります。「天の栄光」と「地の平和」、それは結び合っているのでしょう。栄光と平和、どのような関係があるのか。

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2017年12月17日礼拝説教 

説教題;飼い葉桶の救い主

聖書;ルカによる福音書2章117

私たちの信じる神は全知全能の神です。家族の神でもなければ、民族の神でもありません。一時だけの神でもありません。その神様を信じるとは、世界についていつでも思いを向けるということです。世界をどのようにしたら良いのか。

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2017年12月10日礼拝説教 

説教題;夢を信じて

聖書;マタイによる福音書1章1825

生まれてくる子どもはインマヌエル(神我らと共にあり)。素敵な言葉。だが、神が共にあるならどうして悲しみがあるのか。闇があるのか。「神が共にある」とはどういう意味なのか。

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2017年12月3日礼拝説教 

説教題;お言葉どおりになりますように

聖書;ルカによる福音書1章2638

み使いガブリエルはマリアの前に現れ、主イエスの降誕を告げる。マリアは戸惑いながらも「お言葉通りにこの身になりますように」と引き受ける。ここにマリアの信仰がある。そのマリアの信仰とはどういうものなのか。

   

 

2017年11月26日礼拝説教                                

説教題;信仰で見る景色

聖書;創世記24118

遠い昔のアブラハムの家族に起こった物語。聖書はこれを何千年と書き写し、書き写し伝えてきた。この物語が一家族の話ではないから。すべての人の関係する話であるから。どこにその関係性があるのか。

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2017年11月19日礼拝説教 

説教題;必ず現れる

聖書;使徒言行録4122

ペテロとヨハネは、国の中心的指導者たちの前で尋問を受ける。「何の権威で」「誰の何よって」そのことをおこなったのか。ペテロは答える「イエス・キリストの名によって」。その名は、彼らが数カ月前に葬ったものの名。その名にこのような力があるとは。

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2017年11月5日召天記念礼拝説教 

説教題;重なる

聖書;使徒言行録31126

主イエスの弟子ペテロとヨハネは神殿の門の前で座り続けていたものを立ち上がらせた。人々はその奇跡に大変驚き彼らの周りに集まってきた。そしてペテロの話に耳をそばだてる。だがそこで聞かされたものは奇跡以上に彼らにはショッキングな内容であった。

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2017年10月29日説教 

説教題;最初の土地

聖書;創世記23120

私の願いは小さくないか。全能の神に捧げる祈りとして小さくないか。ありったけ。それでも神には小さい。もっと大きく。御心を求める。

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2017年10月23日説教 

説教題;立ち上がれ

聖書;使徒言行録3110

使徒言行録は告げている。ここが終わりではない。始められる。何度でもやりなおせる。

始める。わたしたちはどこに向かって始めるのか。何を何度でも始めるのか。どこに進むのか。

説教録音はありません。        説教要旨はここをクリック

 

2017年10月15日説教 

説教題;大切な畏れ

聖書;使徒言行録24347

何度でも、いつでもやりなおせる。手遅れはない。いつでも今から始められる。

終わりはない。それを知ったとき、人々の中に畏れが生じた。

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2017年10月8日説教 

説教題;何をしてきたのか

聖書;使徒言行録21442

手遅れ。取り戻せない。それはわたしの勝手な判断。この世界に神の御手の外にあるものは何一つない。ならば、わたしに手遅れも、取り戻せないものは何もない。

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2017年10月1日説教 

説教題;誰も見捨てない

聖書;使徒言行録2113

キリスト教は「愛」を大切な言葉としている。そして、愛の難しさ、愛の困難さも自覚している。しかし、愛はそんなに難しいのか。そもそも「愛」とはなんなのか。

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2017年9月17日説教 

説教題;神の問い

聖書;創世記2219

人はいかにあるべきなのか。聖書は人の理想の姿をどのように考えているのか。イサクを捧げるアブラハムの物語は、人の在り方を語っている。

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2017年9月10日説教 

説教題;何を見ているのか

聖書;使徒言行録11226

「失ったもの」はどうすればいいのか。私たちは沢山のものを獲得します。同時に多くのものを失います。「もの」「人」「環境」「信頼」「名誉」「誇り」「自信」「正義」「平和」。失ったものをどうすればいいのか。

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2017年9月3日説教 

説教題;約束を信じて

聖書;使徒言行録1111

教会はどうやって始まるのか。世界の始まりには何があるのか。愛がすべての始まりになっている。世界を愛し続ける。敵をも愛せる。愛に不可能をない。それが聖霊の力。教会は、それを信じ、世界の真の姿を現していく。

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2017年8月20日説教 

説教題;ひとつになる

聖書;創世記21章22-34節

私たちは「ここ」にいます。「ここ」にしかいることができません。「ここ」でないところを「あそこ」と言います。「あそこ」は遠い、関係が持てない。「あそこ」は本当に「ここ」とは違うのか。アブラハムの物語は私たちに問います。

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2017年8月13日説教 

説教題;全部ある

聖書;フィリピの信徒への手紙4章10~23節

パウロはこの手紙で特徴的な言い方をする。「どちらでもいい」。投げやりな、責任を放棄したような言葉にも聞こえる。だが、パウロはこれを大切な言葉として使っている。

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2017年7月30日説教 

説教題;人の思いの先で

聖書;創世記21章9-21節

家族の中で起こった争い。それは、私たちの世界観を問う物語となっている。

イサクとイシマエル、ユダヤ人とアラブ人の祖。ユダヤ、キリスト教とイスラム教の祖。彼らが別れ別れになる場面、何が起こっているのか。

 

 

2017年7月23日説教 

説教題;広い心

聖書;フィリピの信徒への手紙4章2~9節

教会とは何か。キリスト教とは何か。短い聖書の箇所だが、その要所がここには記されている。

((済みません、録音はありません。)) 

 

2017年7月17日説教 

説教題;道なかば

聖書;フィリピの信徒への手紙3章12~21節

どんな状況でも人を生かすもの。私を元気付けるもの。愛すること。もし人が元気でないなら原因は簡単。愛していないから。

愛する。それだけで人は生きていける。

 

 

2017年7月9日説教 

説教題;神に任せる

聖書;フィリピの信徒への手紙3章1~16節

「人の喜び」それは「人の正しさ」と結びつく。それはどういうことか。

パウロは生まれも育ちも立派な者。勉強熱心なパウロはおそらく敵である教会のことも調べたのだろう。イエスについても勉強をしたのだろう。そして、ある時、イエスと出会ったとしか言いようのない体験をした。

 

 

2017年7月2日説教 

説教題;心を重ねる

聖書;フィリピの信徒への手紙2章19~30節

私たちの心はどうなっているのか。どういう心の状態が良い状態なのか。

この手紙でパウロは「どちらでもいい」と語る。「良い心」の一つのヒントがある。私、パウロを陥れようとして伝道する者、励まそうとして伝道する者、正反対の姿勢であるが、どちらでもいい、という。生きるのも死ぬのもどちらでもいいと言う。

 

 

2017年6月18日説教 

説教題;果たされる約束

聖書;創世記21章1~8節

信じること。それが求められている。信じられないから、どこかで誰かが悪巧みをしていると考える。では「信じる」とはどういうことか。

 

 

2017年6月11日説教 

説教題;あなたと同じ

聖書;フィリピの信徒への手紙2章1~18節

神の造ったこの世界は一つになれる。どのようにしてか。パウロは「従順」をそこにあげる。神に、キリストに「従順」。それはどういうことか。

 

 

2017年6月4日説教 

説教題;霊の言葉

聖書;使徒言行録2章1~13節

ペンテコステは教会が誕生した日。教会が何かを告げている日。ペンテコステの日に起こったこと、それを今日も行うのが教会。ペンテコステに何が起こったのか。

 

 

2017年5月21日説教 

説教題;わたしを取り戻す

聖書;創世記20章1~17節

人は自らのアイデンティティーに不満を覚える時がある。これではダメだ。私ではダメだ。出来ることなら自分を変えたい。やり直したい。アブラハムに至ってはアイデンティティーをすり替えることまでする。

 

 

2017年5月14日説教 

説教題;怒らないこと

聖書;フィリピの信徒への手紙1章12~30節

パウロは熱心なユダヤ教徒、そして神学者である。パウロの回心をユダヤ教徒からキリスト教徒への鞍替えと考えては福音の大きさが見えなくなってしまう。福音は鞍替えではない。福音とは何なのか。

 

 

2017年57日説教 

説教題;神からはじまる

聖書;フィリピの信徒への手紙1章1~11節

フィリピの教会はパウロのことをとても大切に思っている。パウロが囚われて心配している。ところがパウロはこの教会に「それは違う」と言わんばかりに、手紙を書く。パウロはどのような世界観を持っていたのか。

 

 

2017年4月23日説教 

説教題;神の出番

聖書;創世記19章1~29節

「祈り」。私たち信仰者は祈りの習慣を持っている。その私たちは祈りをどれほど信じているのだろうか。祈りが神に届いているとの信頼をどれほど持っているだろうか。

 

 

2017年4月16日(イースター)説教 

説教題;今、ここにある

聖書;ヨハネによる福音書20章11~18節

人は罪を犯す。人は汚れてしまう。汚れてからではない。汚れる前に洗う。罪を犯す前から罪を洗い落とす。必ず洗い落とす。神は速い。悪魔がユダの心を支配する前に、ペテロが裏切る前に、洗っている。

 

 

2017年4月13日 洗足木曜日礼拝説教 

説教題;洗い落とせる

聖書;ヨハネによる福音書13章1~20節

 

 

2017年4月2日説教 

説教題;福音に与る

聖書;マルコによる福音書16章9~20節

主イエスが復活した。それをきいた 人々は信じられない。マルコ福音書は「信じられない」を最後に扱う。

 

 

2017年3月26日説教 

説教題;世界を支える執りなし

聖書;創世記第18章16~33節

神がアブラハムを選んだ理由。正義を行うように。アブラハムが、神に懇願する根拠、神は正義を行うはずだ。この聖書箇所は「正義」を巡って展開されている。

 

 

2017年3月15日説教 

説教題;無いの希望

聖書;マルコによる福音書第16章1~8節

主の障害が告げる世界。終わりに始まりがある。終わりはない。あるのは永遠。悲しみではなく、感謝と喜び、平安が包む世界。私たちはどの世界にいるのか。

 

 

2017年3月5日説教 

説教題;人知の先

聖書;創世記第18章1~15節

人は一直線上の時間を逆戻りすることも許されず、ただ進むそれが私たちの世界だと思っている。神はこの世界は永遠だと告げている。経験で世界を把握するのか。信じて世界と向き合うのか。

 

 

注;2017年2月26日の礼拝説教はここをクリック。

 

2017年2月19日説教 

説教題;終わりから

聖書;マルコによる福音書第15章23~47節

「わが神、わが神、何故、わたしをお見捨てになったのですか」。主は十字架で最後に「神が分からない」という。これは、私たちを悩ませる。神の子が、どうしてこのようなことをいうのか。最後の最後にどうして疑問を語るのか。

 

 

2017年2月12日説教 

説教題;条件なき信仰

聖書;マルコによる福音書第15章16~32節

主の十字架は聖書の頂点。それはわたしたちの生活、世界の中心でもある。中心には何があるのか。・・・世界の中心は「上」に立つもの。その者が世界の中心だと。だが、主イエスは彼らの考えている中心を求めていたのか。

 

 

2017年2月5日説教 

説教題;人の知らないもの

聖書;マルコによる福音書第15章1~15節

主イエスはづして人々に憎まれたのか。憎んだ首謀者は祭司たち。ピラトが裁判の過程でイエスを釈放しようとする。その理由は「祭司の妬み」と分かっていたから。憎しみの原因、十字架の原因は「妬み」。「妬み」とは何か。

 

 

注;2017129日の礼拝説教はこをクリック

 

2017年1月22日説教 

説教題;体に記す

聖書;創世記第17章1~13節

私たちは願いを持っている。願い、祈る。しかしそれが必ずしも叶えられるとは限らない。むしろ叶えられないもののほうが多い。神様は一体、何をしているのか。何を私たちに与えようとしているのか。

 

 

2017年1月15日説教 

説教題;神を捨てる

聖書;マルコによる福音書第14章66~72節

「わたしは何者なのか」。わたし達はその答えを持っている。自分だけが知る正しい答えを持っていると思っている。

自分は一体何者なのか。自分自身でも自分のことを分かっていない。それが私たちなのではないのか。ならば、私たちはどうやって「自分」を知ることができるようになるのか。

 

 

2017年1月8日説教 

説教題;わたしは誰か

聖書;マルコによる福音書第14章53~65節

「言葉」には力がある。そして「言葉」には限界もある。「言葉」の性質、それをこの出来事は語っている。言葉は個人に帰属するもの。どんなに正しいと思って語っても、所詮は私の思い。照合すれば食い違い、同じにはならない。言葉は人が、私が作り出しているもの。

 

 

2017年1月1日説教 

説教題;告げられる喜び

聖書;ルカによる福音書第2章8~21節

2017年。今年起こること。それは今年初めて出会う突然の出来事かもしれない。しかし、主の備えはもう始まっている。私の知らないところですでに始まっている何か。

 

 

2016年12月25日説教 

説教題;世界に必要なもの

聖書;ルカによる福音書第2章1~7節

「身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録をするために」と聖書は記す。不思議なことだ。結婚前の女性の妊娠。しかも父親が分からない。

 

 

2016年12月18日説教 

説教題;終わらない約束

聖書;ルカによる福音書第1章57~80節

洗礼者ヨハネ。その両親、ザカリアとエリザベトに起こったこと。人が背負っている「過去」を取り扱っている出来事。

 

 

2016年12月11日説教 

説教題;喜びのおとずれ

聖書;ルカによる福音書第1章39~56節

メシア・イエス。最後の時、いつか来てくれると思っていた未来の者。その者が宿っていると告げられたマリア。マリアとエリザベトが対面する。喜びを交わす。「過去」と「未来」が出会っている。

 

 

2016年12月4日説教 

説教題;神の子が生まれるために

聖書;ルカによる福音書第1章26~38節

ゼカリア、エリザベト夫妻は歳をとっていたにもかかわらず子どもが生まれると天使ガブリエルから伝えられる。おとめマリアはまだ結婚をしていないにもかかわらず子どもが生まれると告げられる。彼らに共通している思いは「今なのですか」。

 

 

2016年11月27日説教 

説教題;神と出会うために

聖書;ルカによる福音書第1章5~25節

祭司ザカリアとエリザベト夫妻。歳を重ねたが彼らには子どもが与えられなかった。ザカリアが祭司の務めをしているときガブリエルが現れ、子どもが生まれることを告げる。しかしザカリアはその言葉が信じられない。ガブリエルがザカリアの口がきけないようにしてしまう。

言葉は何のためにあるのか。

 

 

2016年11月20日説教 (幼児祝福記念礼拝)

説教題;成し遂げる神

聖書;マルコによる福音書第14章43~52節

主イエスを捕らえるために群衆は棒と剣を持ってやって来た。弟子のひとりは戦おうとする。勝てるとおもったからなのだろう。ところが主イエスはむざむざと捕らえられる。ペテロもユダも、主イエスが何もしないことに驚いたのではないか。何もしないイエス。彼らはそんなイエスに付いていくことができなくなり、逃げ出してしまう。

 棒、剣。主イエスは「棒や剣がどうして必要なのか」と問いかける。

 

 

2016年11月13日説教 (幼児祝福記念礼拝)

説教題;本当の意志

聖書;マルコによる福音書第14章32~42節

大事なものって何でしょうか?ごはん、家族、お友だち、大事です。その大事なものを守るために、わたしたちがしなければならない大事なことってなんでしょうか。

今日の聖書はイエス様が明日には十字架にかかって死んじゃうことが分かっていた夜の話です。 

 

 

2016年11月6日説教 (召天者記念礼拝)

説教題;最後の先へ

聖書;マルコによる福音書第14章27~31節

主イエスはこれから起こることを弟子たちに告げる。「皆、私につまずく」と。しかし、弟子たちは主の言葉を引き受けようとはしない。特にペテロは激しく主への追従を誓う。そのペテロに対して「今晩、お前は鳥が鳴く前に『私のことを知らない』と言う」と告げられる。はたして、この後、主の告げたことは全て実現する。この出来事は何を語っているのだろうか。

 

2016年10月30日説教

説教題;変わらぬ祝福

聖書;創世記16章1~16節

自分では夫アブラハムの子を産めないと悟った妻サライは従順な女奴隷ハガルを夫の側女として差し出す。アブラハムの子を宿すとハガルはサライを見下し始める。それに苛立ったサライはアブラハムに怒りをぶつけ、辟易したアブラハムはサライにすべてを任せると放棄する。サライに辛く当たられたハガルは耐えられずついに逃げ出す。主の使いはハガルに女主人のもとに帰りサライに仕えるよう言い渡す。アブラハムもサライもハガルも最初の願いが叶った。なのに問題が起こる。祝福はどこにあるのか?

 

2016年10月23日説教

説教題;先を見る

聖書;マルコによる福音書14章12~26節

いつもの十二人。いつも行ってきた過越しの食事。普通のこと、日常のことだった。ところが、十二人の中の一人は裏切り者。過越しの食事は、最後の会食だった。当たり前、普通と思っているところに、まったく異なるものが隠されている。

 

2016年10月16日説教

説教題;持っていなければならないもの

聖書;マルコによる福音書14章1~11節

「まだ先でしょう」。夏休みの宿題。会議の準備、今でなくてもよい。些細な甘え。それが「主の十字架」「罪」と結びついている、と語るのが今日の聖書。

 

2016年10月9日説教

説教題;滅びないもの

聖書;マルコによる福音書13章28~37節

主イエスの告別説教。ここにはキリスト教の神髄がある。人は苦難を受ける。それは避けられない。キリスト教は危険回避のお守りではない。苦難に遭う。しかしその先に行ける。それが主イエスの言葉。

 

2016年9月25日説教

説教題;貫く神

聖書;創世記15章1~21節

わたしたちは信仰を持っている。信仰を持って現実の世界のなかで生きてゆく。生きていく中でいつしか弁えてきている。信じて、希望を持っていた時期もあるが、現実の中で希望も修正しなければいけない。信仰も妥協点にあった所を見出さなければならないと。割引された願い。平均値を探る信仰。それが実際なのだと。

 

2016年9月18日説教

説教題;向き合うもの

聖書;マルコによる福音書13章1~13節

エルサレムに到着したイエス様たちです。弟子たちは神殿の立派さに感動します。しかし、主は、この神殿がやがて崩れ落ちることを告げます。ここに至るまで人々の閉じこもった心を見てきたからでしょうか、神を自分の都合よく利用しようとする心根を見てきたからでしょうか、この国の崩壊を主は弟子たちに告げます。

 

2016年9月11日説教

説教題;なにも持たない

聖書;マルコによる福音書12章35~44節

聖書に登場する律法学者。聖書読者は彼らに悪いイメージを持つことがあるが、実はきわめて良識的な人々。「メシアはダビデの子だ」。彼らはそう語る。ところが主イエスはそういう彼らを見て、人のことしか見ていないという。

 

2016年9月4日説教

説教題;神を愛する 人を愛する

聖書;マルコによる福音書12章28~34節

エルサレムでの論争の最後に登場した律法学者。「一番大切なものは何ですか」主イエスに問いかける。「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」。問はひとつを求めていた。主の答えは二つ。このやり取りは何を告げているのか・

 

2016年8月28日説教

説教題;元の形へ

聖書;創世記14章13~24節

大昔に起こった戦争の話。私たちには関係のない話とも読める。果たしてそうなのか?邪悪で神に対して罪を重ねている町ソドムを支配している王様が敵対している王様達に謀反を起こす。しかし結果は返り討ちに会い散々な目に合う。ソドムに住んでいた甥のロトとその家族は捕虜として連行される。その出来事を逃げ延びたものがアブラムに伝える。

 

2016年8月21日説教

説教題;今にいます神

聖書;マルコによる福音書12章18~27節

主イエスに論争を仕掛ける者。彼らの狙いはいかにして民衆を味方につけるか。主を殺したい。しかし民衆が主を支持している。彼らの思いを自分たちに向けるため、主の失敗を狙っている。

 

2016年8月14日説教

説教題;自分で決める

聖書;マルコによる福音書12章13~17節

信仰者として歩むべきことは分かっている。しかし、現実を生きる中で神様を裏切るようなことをしなければならない。信仰と現実が結びつかない。

「皇帝のものは皇帝に返せ」。この世の事柄を主は否定しない。この世のことはこの世のこととして行え。そして「神のものは、神に返せ」と語る。「神のもの」とは何か。

 

2016年8月7日説教

説教題;ここは誰のものか

聖書;マルコによる福音書12章1~12節

主イエスのたとえ話。ぶどう園の主人が納付たちに自ら作ったブドウ園を貸し与える。ところが農夫たちはそのぶどう園を自分たちのもnにしようと主人の一人息子までも殺してしまう。

神はご自分の造った世界を人にお任せになった。ところが人はいつの間にかそれば自分のものだと思い始めている。

 

2016年7月31日説教

説教題;失って得るもの

聖書;創世記13章1~18節

アブラハムとロトは再び神の祭壇の前に来ました。神様と出会う。それは本当のことを知らされる時となります。本当の世界を知らされます。

 

2016年7月24日説教

説教題;神を知らないのか

聖書;マルコによる福音書11章27~33節

マルコ福音書は「物語」を重ねながら話を進めていきます。ここで登場する祭司長、律法学者、長老たち、彼らは主イエスの宮清めを目撃していた人々です。そして、イエスを殺そうと決意している人々です。その彼らがイエスに問います。「あなたはなんの権威でこんなことをするのか。」おかしな質問です。

 

2016年7月3日説教

説教題;何が正しいのか

聖書;マルコによる福音書11章12~14節

主イエスがエルサレムに入場する、子ロバに乗って。何も積んだことのない子ロバ。誰のものでもない子ロバ。自由の象徴。その自由の子ロバは主イエスを待っていた。自由は主のために。そしてその主人は人々のためにエルサレムは、十字架へと進む。

 

2016年6月19日説教

説教題;終わりの先へ

聖書;マルコによる福音書11章1~11節

富に執着する止める青年。権力に執着するヤコブとヨハネ。この両者は主イエスから批判される。何を願っているのか分っていないと。彼らの何が問題なのか。

 

2016年6月5日説教

説教題;思いの実現

聖書;マルコによる福音書10章46節~52節

テイマイの子、バルティマイ。目が見えず物乞いをしている者。この者が主にお願いをする。「見えるようになりたい」と。主は語りかる。「あなたの振興があなたを救った」。バルテイマイの何が進行なのか。

 

2016年5月22日説教

説教題;なにも決めない

聖書;マルコによる福音書10章32節~45節

三度目の主の受難予告。弟子たちは最後があることを分かってきた。自分の最後の、一番の願いが顔を出す。イエス様の一番近くに置いてください。世界で神様の次に偉い所に置いてください。弟子たちだけではない、人の願い、私の願い。

 

2016年5月15日ペンテコステ説教

説教題;どこへ行くのか

聖書;使徒言行録2章1節~13節

過ぎ越しの祭りから50日目ペンテコステの日のことです。主の弟子たちが集まっていると聖霊が与えられました。すると弟子たちは他の国の言葉で語りだします。

 

2016年5月8日説教

説教題;頼っていいのか

聖書;マルコによる福音書10章13節~31節

子どものようでなければ神の国に入ることはできない。子どもとは何を指しているのか。

 

2016年4月17日説教

説教題;小さくていい

聖書;マルコによる福音書9章38節~50節

弟子たちは「主イエスの名によって軌跡を起している者たちがついてこないので止めさせた」と主に報告する。「止めるな」と主は答える。弟子達には「弟子論」があった。「しきたり」があった。主はそれはいらないと言う。

 

2016年4月10日説教

説教題;後先なし

聖書;マルコによる福音書9章30節~37節

主イエスから十字架にかかることを告げられる弟子たち。悲しく、不安になる。これからどうすればいいのか。誰が次のリーダーか。不安な弟子たちは議論を始める。それを知った主イエスは「先になりたいと思うものは、後になれ」と勧める。また、「わたしの名の故に子どもを受け入れるものはわたしを、神を受入れる」と語る。

 

2016年3月27日 復活祭礼拝説教

説教題;喜びの復活祭

聖書;マルコによる福音書15章42節~16章8節

希望は大切。希望を持ちたい。しかし希望が失われていくのが私たちの現実。そもそも規模とは何なのか。

 

2016年3月24日 洗足木曜日礼拝説教

聖書;ヨハネによる福音書13章3~17節

 

2016年3月20日

説教題;貫かれている愛

聖書;マルコによる福音書9章2~13節

「目の前にあるのに分からない。求めていたもの。大切なもの。なくてはならぬものでありながらそれを見逃してします。」

 

2016年3月6日

説教題;次のところへ

聖書;マルコによる福音書8章22~26節

「神は世界にどう関わるのか。

神が世界に関わったらどうなるのか。」

 

2016年2月28日

説教題;くり返しの先に

聖書;創世記9章18~29節

「世界には何が足りないのか。

どうしたら世界は次の一歩を刻むことができるのか」

 

2016年2月21日

説教題;朽ちない糧

聖書;マルコによる福音書8章11~21節

「人はしるしを欲しがる。

『しるし』。自体にたどり着くための道案内。

幸福、平安、安定、その実態にたどり着く道案内は何か?」

 

2016年2月14日

説教題;なくならないもの

聖書;マルコによる福音書8章1~10節

「食べて満腹をする。4000人の人々を主イエスは前にします。彼らは空腹。生きることが閉ざされようとしています。主はかわいそうに思われた。何とかしなくちゃ。」

 

2016年1月31日

説教題;崩された予定調和

聖書;創世記8章13~22節

「世界はどうしてこうも静かなのか。暗い未来、悪意、利己心。悪い言葉は蔓延している。しかし、正しい言葉、希望の言葉は生れない。神も何も語らないのか。世界はどうして静かなのか。」

 

2016年1月10日

説教題;恐れない

聖書;マルコによる福音書6章45~56節

「遠い。理想と現実。自らの実力と直面する現実。争いの絶えない世界での平和の実現。」

 

2015年9月27日

説教題;疑心

聖書;創世記3章1~12節

 

2015年9月20日

説教題;実り多く

聖書;マルコによる福音書4章10~20節

 

2015年9月13日

説教題;聞くから始める

聖書;マルコによる福音書6章1~9節

 

2015年8月2日

説教題;するべきこと

聖書;マルコによる福音書3章1~6節

 

2015年7月26日

説教題;神の行い

聖書;創世記1章24節~2章3節

 

2015年7月12日

説教題;遠ざけられた愛

聖書;マルコによる福音書2章23~28節

 

2015年7月5日

説教題;今を見る

聖書;マルコによる福音書2章18~22節

 

2015年6月28日

説教題;一番大切なもの

聖書;出エジプト記20章1~11節

 

2015年6月21日

説教題;一人ではなかった

聖書;マルコによる福音書2章13~17節

 

2015年6月14日

説教題;起きて歩きなさい

聖書;マルコによる福音書2章1~12節

 

2015年6月7日

説教題;光から

聖書;創世記1章1~5節

 

2015年5月31日

説教題;神と向き合う

聖書;マルコによる福音書1章40~45節

 

2015年5月24日

説教題;帰って来た言葉

聖書;使徒言行録2章1~13節

 

2015年5月17日

説教題;元の心・元の姿

聖書;マルコによる福音書1章29~39節

 

2015年5月10日

説教題;新しい権威

聖書;マルコによる福音書1章21~28節

 

2015年5月3日

説教題;罪・執着

聖書;マルコによる福音書1章16~20節

 

2015年4月26日

説教題;新しい時

聖書;マルコによる福音書1章12~15節

 

2015年4月19日

説教題;新しくなる

聖書;マルコによる福音書1章1~11節

 

2015年4月12日

説教題;幸いなもの

聖書;ヨハネによる福音書20章19~29節