木を植えた人

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平松良夫

 

フランスのプロヴァンス地方の深い山の中に、ひとりの羊飼いが三十頭ばかりの羊を飼って暮らしていました。海抜千二、三百メートルのその土地は、川や泉が枯れ、野生のラベンダーのほかにはほとんど何も生えていない荒れ地でした。

あたりの山腹に点在する村では、厳しい風土にあってかろうじて暮らしを保つ人々が、たえず吹きすさぶ風に神経をいら立たせ、ささいなことでも争っていました。心を病む人も多く、自らいのちを絶つ人さえ少なくありませんでした。彼らの最も切なる願いは、その土地から逃げ出すことでした。

 

五十五歳になっていたこの羊飼いは、かつてふもとに農場を持ち、家族といっしょに暮らしていました。しかし、ひとり息子と妻が次々と天に召されてから、山に退き、まれに道に迷って宿を請う旅人以外にことばを交わす人もなく、羊や犬とともにゆっくりと時間のたつのを味わう暮らしを始めたのです。

 

やがて彼は、木がなくて死んだようなその土地に、少しずつでもいのちをよみがえらせることを思い立ちました。羊たちを放牧地に連れ出す時に、念入りにより分けた百個のどんぐりを持ってゆき、鉄の棒を地面に突き立ててあけた穴に一つ一つどんぐりを埋め込んでは、ていねいに土をかぶせました。そのようにして三年間に十万個の種を植え、二万個が芽を出しました。そのうち半分しか根づかないとしても、ほとんど不毛だった土地に一万本のカシワの木が育つことになるのです。

 

木を植え始めてから十年たち、その間に第一次世界大戦が起こって多くの人のいのちが失われ、多くの家がこわされましたが、彼はただ黙々と木を植え続けていたのです。

 

十年前にはどんぐりだったカシワの木が、すでに人の背丈を越すほどに育ち、長さ十一キロ幅三キロもの広さの森になっていました。ほかにブナやカバの木立も広がり、遠くから見ると緑のもやがかかったようでした。

 

雨水に頼るしかなかった村々では、泉が息を吹き返し、小川のせせらぎが聞こえるようになりました。風は種をまき散らし、牧場や菜園ができて、人々の心に生きる喜びと希望がよみがえってきました。荒れ地だったこの土地が、なぜこのように変わったのか、真実を知る者はごくわずかでした。

 

再び世界大戦が始まり、多くの木が切られました。しかし、この人の育てた森は車の通る道から離れすぎていたので、ほとんど手がつけられずに残りました。

 

人に知られず、心の静けさと豊かさのほかには何の報いも受けずに木を植え続けて、この人、エルゼアール・ブフィエは、第二次世界大戦が終わって二年後に、プロヴァンス高地の村バノンの老人ホームで安らかにその生涯を閉じたのです。

 

この物語は、マザー・テレサの働きとことばを思い起こさせます。彼女は平和な修道院を出て、世界最悪の居住環境と言われたカルカッタの最も貧しい地域に一人で入ってゆきました。何十万もの人々が路上で暮らし、弱って死を待つばかりの人が横たわっていても、それが毎日のように見られることなので、人々は何の関心も払わずに通りすぎるのでした。

 

社会から見捨てられ、飢えや病気や孤独で苦しむ数知れない人々のために祈り、働きながら、マザー・テレサはこのように語っています。「私のしていることが大海の一滴にすぎないとしても、それがなければ確実に海の一滴分か少なくなります。インド全体の貧しさを見るより、私は一人ひとりと向かい合います。神様にとっては、その一人ひとりがかけがえのない大切な存在なのですから」

 

この世界の中で私たち一人ひとりのできることは、大きな海の一滴のように小さなものであっても、それが神様の愛のご計画の中に確かな位置を占める時、私たちの思いをはるかに超えた働きと実りへと導かれるのです。